2008年1月15日 (火)

移転します

ちょいと試験的にブログを移転してみます。FCブログ。みんなやってるからなあ、という極めて軟派な理由なのです。

↓こちらから
http://saihate510.blog22.fc2.com/

ps:FCブログの管理画面がいやに重いのはなぜだろう?

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2008年1月14日 (月)

牛久の果てから黒富士

Photo 牛久の果てをチャリで疾走してたら、とてもいい感じな夕映えに映えていた黒富士が見えたので、思わず写メを撮ってしまった。
さすがに牛久の果てでは、富士山はこんなにも小さい。心平が住んでいたと言われる福島じゃあ、まず見えないでしょうなあ。

↓ちなみに、これを倍率設定なしで見たとき
Photo_3

黒富士の小ささが分かるでしょう。
まあしかし、黒富士が分かるように拡大して撮った上の写真に比べて、こちらは構図重視で撮ったので、今や携帯の待ち受けでございます。

携帯の写メの画質が飛躍的に上がったので、これから取り放題です♪

これらの画像、ほんの数人には送ったんだけど、欲しい人は連絡くれれば送りますよ。

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金曜7時枠を語る その2 ドラえもん

昨日にひき続き、金曜7時枠を語るシッリーズ(さまぁ~ず大竹風に
今日はドラえもんですよ。

さて、新しいドラえもんに関しては色々批判が出ておりますなあ。
主に、声優がスネ夫以外(笑)大根だとか、声優がヘタだとか、ああ、やっぱりそれに尽きるのかw実際自分もその通りだと思うのですが、それで話を終わらせるのもつまらないので、も少し細かく見ていこうかと。

自分が新しいドラえもんを見た第一印象は、とことん原作に回帰しているということ。それは、目に見える場所だったら画柄もより原作の藤子Fのそれに近くなったし、声変わってから作った映画の二作が連続して過去のリメイクだったところにも表れている。
じゃあ大山のぶ代のころは違ったのかというとまさしくその通りで、基本的な絵柄からして、アニメ版と原作は大分画が違う。画が違うというのはやっぱり決定的で、そこから連動するように、原作のドラえもんとはまた違ったものが生み出されるに至ったのです。

ところで、自分が一番変わったなあと思ったのが、しずかちゃんの存在というのが前とずいぶんニュアンスが違ってきたということ。新しいドラえもんのしずかちゃんは、大人目線から見ると結構憎たらしい。ジャイアンやスネ夫がのび太をバカにしているその後ろで意地悪く笑っているしずかちゃんの悪女ぶりと言ったらもう、この作品一番の悪役ですわ。
しかし、よく考えてみると、原作のしずかちゃんって結構こんなだったよなあ、と気付くのです(実際、初期のころのしずかちゃんはかなりの悪女、後になって意識的に矯正された)。つまり、ここんとこまで原作を忠実に再現しているということ。まさにしずかちゃんじゃなくて、しずちゃんです。原作全体でみるとかなり矛盾しているしずかちゃんのこの人物像の反映のされ方をみても、半ば考えなしに原作を再現していることが分かりますね。ほとんど聖書とおなじ扱い方ですわ。
(注:原作コミック版ではしずかちゃんのことをよくしずちゃんと呼ぶ場面がよく見られるのです。アニメにするにあたって「しずちゃん」だと言いにくいということでしずかちゃんで統一されたのです。
他にも、原作における諸設定は割と矛盾するものが多い。例えば、のび太の親父のび助は、初期はのびぞうでした。長期連載、しかもかなりの雑誌で同時連載されている多忙さを考えると、仕方ないことではある)

それに対して、のぶ代ドラえもんのしずかちゃんは、かなり後期の「良い子のしずかちゃん」を前面に押し出している。画的にも、わさびの方はかなり原作に忠実なイヤな顔して見せるのに対して、のぶ代の頃は画的に見てもその歪みはかなりマイルドにされてます
そもそも、あの有名なのぶ代の「ぼくドラえもんです」の“です”は、のぶ代のアレンジです。子守ロボットのはずであるドラえもんが汚い言葉使ったらマズイだろうという配慮かららしいのですが(ちなみに、原作だと「オレ」とか大分汚い言葉使ったりしてます)。そういったスタッフのある意味大人の良識的選択に基づいた作品作りが、のぶ代ドラえもんの一つの特徴だったわけです。だから、割と子供の無邪気な残酷さが描かれている原作とは一味違ったドラえもんが出来上がったというわけ。

まあ、クレしんの時にも言ったように、このドラえもんを見て今の子供たちが喜ぶかは分かりません。自分は子供じゃないのだから。そして、両ドラえもんの方向性自体は、優劣付けるべきではないとも思います。原作があれだけ偉大であるとされている以上、原作をリスペクトするってのは一つの方法だし、実際それが良い結果につながっている面もある。あのリアルにいそうな悪女しずちゃんは、それはそれで感心させられるものはある。のぶ代ドラえもんでは生まれなかったでしょうね。

ただ、これもクレしんの時言ったけど、大人が子供になるなんてできっこないのですよ。だから、あれだけガチャガチャうるさいようにも思えるドラえもんの主要人物の演出についても、おそらくより子供向けというのを意識して藤子Fが目指していた子供への目線というのを忠実に再現しようとしたんでしょうけど、自分にはスタッフが子供という存在をある意味バカにしているようにしか見えないわけです。
繰り返し言うように、自分は子供はこれを見てどう思うのか知らないけど、まったくの私見から言わせてもらうと、こんな幼稚なドラえもんじゃ後に何も残らないと思います、って感じです。
今や大人な存在、の譲れぬ一線なのです。もっと大人の視点から心に残るドラえもんを作ってほしいのです。さらに言うなら、何も考えずに原作をただコピーするだけにとどまってほしくない。

と、少し変わった視点から言わせてもらったけど、やっぱり9割くらいは声優が基本的に全員ヘタなのがそもそもの原因だと思うんだよな。
あのバカ騒ぎは、どうにかならんもんかね?

ps:よく茨城はいばら“ぎ”じゃありません、”き”です!とかこだわる人いるけど、よく考えたら、そもそも茨城の原住民が茨城訛りで自分の県の事を「えばらぎ(語尾上がり気味)」って言うのが悪いんじゃねーかという結論に至る。自業自得です。茨木茨城どっちでもいいよ(ォィ
↓元凶

いばらぎじゃなくていばらき いばらぎじゃなくていばらき

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注:茨城訛りだと、「き」とかの清音が「ぎ」とかの濁音になりやすいのです。

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2008年1月13日 (日)

金曜7時枠を語る その1 クレヨンしんちゃん

ワグネルが終わったから、これから大手を振ってテレ朝金曜七時枠を見れる。そういうことで、卒論出し終わった自分は金曜七時枠を見ていたのでした。つまり、声の変わったドラえもんとクレヨンしんちゃんね

何げにクレしんも、今や長寿&国民的アニメなのですね。少なくとも中国にパクられるくらいの格式はあるみたいですよw。ちなみに韓国じゃマンガ版が18禁なんだとかw

さて、そんなクレしんは最近主に映画が名作ということで注目されているわけです。確かに、映画版とテレビ版は大分作り方が違う。
ただ、だからと言ってテレビ版が完成度が低いわけでは決して無い。こないだ久しぶりにクレしん見て「ああ、これは長く続くわ」と納得しましたよ。
それは、やはりこのアニメが明らかに大人向けに作られているというのが一番の理由。おいキャプテンも言ってたもんね「これは大人になってみるとまじでおもしろい」って。また誰かさんが「クレしんの真の主人公はひろしである」とも言う。これは映画版に寄せたコメントだけど、テレビ版にも十分当てはまると思う。しんのすけの行動が自分とリンクしているという人は、自分が相当変り者であるという事を自覚しなければならない。そのしんのすけの一見奇異な行動を見ているのは、他ならぬ(一応)常識人のひろしである。奇異な行動をとるしんのすけを描く作者の視点は、しんのすけ本人とはある程度の距離感があることを見落としてはならない。それは、明らかに第三者の視線であり、その第三者というのを、登場人物の中から選ぶとしたらという話になったら、一番妥当なのはひろしであろう。もしかしたら女性ならみさえかもしれんが、作者の臼井義人は一応男性ですので。

ただ、だからと言って子供が見て面白くないわけではないというのが重要。野原一家の行動には、小さい子供も単純に笑えるでしょう。事実、劇場版は子供の爆笑の渦だったらしいしな。
何も知らない子供が見ても普通に面白い。ただ、いろいろな事情を知ったちょい大人がこの作品を見ると、その元ネタやら大人の事情とかが分かって二倍面白い。

このように、大人も子供も楽しめるというのが、クレしんが国民的アニメと言われる所以。実際、この時間帯のアニメでは、最も平均視聴率が高いのだそうな。

この、大人も子供も楽しめるという点で一歩後退したと思うのが、その前番組の、声の変わったドラえもんであると自分は考える。新しいドラえもんのスタッフは、どうも子供に受けるように受けるように作っている感が否めない。だから、新しいドラえもんの登場人物は無理にデフォルメされた(彼らが考えうる限りでの)生粋の子供であり、だから、今や大人になってしまった自分をはじめとするオールドファンとは微妙に相容れない存在となったのである。

個人的な意見を言わせてもらうと、大人が子供になれるわけがないというのが自分の持論である。大人というのは常にこうあってほしいという理想を子供に持つもので、大人が思い描いた子供像というのは多少なりともそういったバイアスで歪んでしまうのが常である。日教組の教育方針がいとも鮮やかにそれを証明してますね。別にここから思想的攻撃を仕掛けるつもりはないのでここでやめときますが。
ただ、自分が疑問なのは、今のドラえもんを見ている子供たちは、それを面白いと感じるだろうか?ということ。面白いと思ってんなら、それは自分ら大人の方が時代遅れなのですねって話で終わるのですが。

では明日はドラえもんについて長々と話しますかね(ぇ

ps:墓場の鬼太郎がやたら気合い入りまくりんぐな件について、

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2008年1月12日 (土)

卒論提出

3万字、だいたい平均的な分量の卒論を、今日の朝っぱらに出しました。この前の教授のチェックしたやつに多少手直し加えただけですが。そしてついに翻訳つけられなかったのが残念で仕方ないのですが、まあ、後で見てもらうとします。
うん、とりあえず完全ではないけど、他に自分よりよっぽど気合の入ったの書いてる友人もいて恐縮なのですが、とりあえずこれが四年間の自分の精一杯でございます。
まあ、いろんな意味で意義深い論文ではありました。たぶん表立って莫言を批判した論文は今のところ国内には他に存在しないでしょうし。あと、自分が文学を見るひとつの方法論を得たという意味でも大きい。
あと、やっぱり製本したかった。前に並んでたやつの製本した論文かっこよかったわー。どうせ中身は大した事ないんだろうけど(おい。ああいう形で自分の書いたのが残るのはいいですね。

ちなみに、卒論終わったからといってまだ終わらないのです。その後にはY永先生の課題&試験があるし、折口のレポートも書かなければ。ああ、思い返すだけでめんどくさい。。。
ていうか、課題文二つのレジュメとか、ご冗談でしょうY永さん?

ともかくも、文学部の皆さん卒論お疲れ様でしたね。

そういうわけで、悠々自適に金曜7時枠を見てました。ドラえもんとクレヨンしんちゃん。
今見てみるとやっぱりいろいろ思う事ありましたが、それは明日にでもうpします。それぞれだいぶ長々と書いたので、ヒマな人は見てみると良いかもね。

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2008年1月11日 (金)

教職めんどいよ、最後まで

教育実習最終レポートと教職総合ゼミなるもののレポートを、3000字と1500字、合わせて4500字を、光の速さで書いて出しました。
よく考えたら、一時期携帯で5000字の記事書いたことがある自分にとっては、4500字なぞまさに取るに足らないってやつでした。
ただ、非常にめんどくさいんだよね。別に取るに足らないんだけど、興味の無いことについて4500字書くってのは、結構つらいものですよ。。。

というのが水曜の夜の話。今晩はバイトの後親父のとこに泊めてもらってるのです。卒論の提出のために。

事の発端は、実家から常磐線一本で東京にやってくる自分に対して「それ危ないよー、電車止まっちゃったら終わりじゃん。泊まった方が良イヨー」
というチャイ文のなおちんによる助言がきっかけなのでした。出来る娘です。最後語尾がちょっとドラヴィダ的になってるのは無論レトリックです。

つーか、卒論提出と同じ日の二限にテストがあるってのがまじめんどくさい。持込み可とはいえ。

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2008年1月10日 (木)

さばら名誉教授

そういや今日は名誉教授殿の最後の授業だったのね。マンツーマンで。そういうわけで、またちゃっかり奢ってもらう、と。

そもそも今日は、最初Y下教授がうちの研究室のPCを直す傍らで名誉教授のPCお悩み相談を受けるところから始まったのですね。どうやら大陸から新手のスタンド攻撃を受けたみたいで、ウイルススキャンしたらほとんど入れ食い状態でした。
そこから、「PCって難しいですねー僕も基本的なのは使えるもののいまだ分からないこといっぱいですよー」(おべっかとかじゃなくてほとんど事実)てな具合に話が始まってから、気が付けばいつも通り雑談で終わる、と。

その後、四時くらいにふと「じゃあビィルでも飲みに行こうか」てな感じで唐突に授業が終了して、ファミレスへ。この時間で酒が飲めるのってファミレスくらいしかないのな。
そこでさらに一時間半くらい雑談してからお別れ、と。

やー、名誉教授も今年度でおしまいだから、来年からいなくなっちゃうんだよなあ。チャイ文の集まりには来るよとは言っていたものの、少し寂しいのはありますよ。

ps:この例文は、これから積極的に使っていってもよいと思った。

例:なぜ皇帝ネロはローマに火を放ちキリスト教徒を皆殺しにしたかしばし考えてみる。早くしないとルネサンスになっちまうからだという結論に達したとき、ちょうど駅に着いた。

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2008年1月 9日 (水)

筒井康隆おもろいな

八重洲で唯野教授を買って今読んでる最中です。

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸) Book 文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

著者:筒井 康隆
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

かなり笑えるわwまさに抱腹絶倒。むしろラノベにかなり近い。特に唯野君いちいち面白過ぎ。
慶政大学で仏文学を教わったという作家の天藤久作さんとかいうあからさまなパロディを出しときながら、そんなこと忘れてたのか後の章で普通に遠藤周作の名前を出してマジメな話をするこのテキトーさがまたたまらんね。こういうのが許されるのもユーモア小説ならではです。
ま、こちとら文学部の院に進む者として、まったく他人事ではないんだけどな。笑ってばかりもいられない。明日は我が身、かも。
それにしても、さすがにデフォルメし過ぎだろうと思いこんでおきます。そもそも、うちの専攻そんなに教授同士仲悪いわけじゃないし、権力欲強い人そんなにいないし……多分

ちなみに、新潮文庫と間違えてたのは串刺し教授という短編集でした。もう絶版になってるから、書店では見つかりません、リンクも貼れません、と。

さらにさらに、時かけの原作は、古いバージョンだと相当エグイ表紙です、色使いとか、基本紫なんだもん。挿絵とかも、明智小五郎ばりのレトロさで、時代を感じますね。

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫) Book 時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)

著者:筒井 康隆
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

↑これとか、新装版だからまだマシ。

ps:あと、ニコニコで昨日やったというガンスリ二期をチラッと見てみるが、これはこれは、相当ざんねんな出来になってるな。
まず役者がほぼ全員大根でした。これが9割。あと、硬派さとか気迫が足りなかった。なんだ精神論かと言われそうですが、既にうpされている一期と比べたら気合の入れようの違いは一目瞭然。
ヘタに萌えで媚びるとこういう堕落した作品になるんですね。最近そういうのが多くなってるのがほんとに残念です。

かと思ったら、チバテレビでたてかべ和也が大暴れしてるっていうじゃないかw

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2008年1月 8日 (火)

レッド&レッドコンビがぁ~……

<阪神>赤松に広島移籍を通告 新井の人的補償として

一番赤星、二番赤松を密かに期待していた一人だったのでした。残念。でも仕方ないか。無駄にいっぱいいる阪神の外野のレギュラー争い、去年は特に熾烈だったからなあ。その中にあっては、微妙にアピール不足だったのはある。やっぱりマンガばっか読んでたのがいけなかったw
まあ、広島も阪神以上に外野のレギュラー流動的だからな。頑張ってほしい。

何だか久しぶりにワグネル関係からメール来ましたよ。行きたいものも行きたくなくなるような文面だったけどね。人づきあいなんて俺には無用だぜってばかりのその男らしい、ある意味おめでたい哲学が、むしろうらやましいです。男に二言とか、そもそも自分きっとその場にいなかったし。
まあ、多分ヒマなんで行きますけど。

製本って無料だったんだね。知らなかった。

ブログパーツなるものを初めてつけてみた。
右上の魔法使い、多分白魔法とか使えますw

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2008年1月 7日 (月)

会う機会無くね?

翻訳を進めてきてふと思う。これをいつS根教授に見せようか?

いやね、さすがに訳分からんとことかアヤシイとことか結構あるし。そうでなくてもこれを論文に載せるなら必ず教授のチェックを受けなければならんのですが、よく考えたら7日月曜はゼミが無いじゃないのさ。そして、次三田であうのは水曜だけ、その二日後はもう提出期限日。つまり、翻訳をいつ渡そうか?という話。さすがに二日前じゃチェックも自分の訂正も間に合わないだろうしなあ。月曜ですら危ういと思うし。

ちなみに教授によると、「別に最低限内容をしっかり読み取って要約すれば良し」とのことで、前にも言ったとおり別に訳文全部付けなくて良いので、じゃあ仕方ないから訳文は無しにしようかな、と思い始めているのです。

まあ、もしそうなったとしても、絶対翻訳は完成させるけどな。卒論には載らんけど、そういう問題ではない。今回の論文執筆にあたって最も意義があると思われるのが六・七章の翻訳。文面にはでなくても、やりましたよってことくらいは示したい。学者としての意地ってやつです。
それに、もしかしたらいつか世に出るかもしれないし。

後でゆっくり教授に読んでもらおう。

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«早起きをしよう