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2007年6月22日 (金)

小林秀雄と大江健三郎と親父

茂木健一郎が絶賛したのを受けて、親父も小林秀雄を読み始めたらしいです。んで、自分に感想をば。

「秀雄の文章って結局何が言いたいか、とっても分かりにくいんだよね。何であんないちいち分かりにくく書くんだろ?」

つまりは、序・破・急の展開で理路整然と明快な論理展開をしていないのがとっても気に入らないらしいんですね。こういうこと言いたいんだろってことを長々と書き続けている印象で。
んで、その繋がりで大江健三郎についても言及したわけです。あいつも何言ってるか分かりにくんだよ、と。

一応言っておくと、親父は生粋の理系人間なのです。好きな分野は評論とかで、明快な理論を好む人種なのですよ。

まあ親父の言い分も理解できないわけじゃないです。一応親父の子ですからね。一時期先生に「君は完璧に理系の脳味噌してるね」とまで言われたこともあるし。

小林秀雄の評論、大江健三郎の発言、両者に共通するのは、要約不可能だと言うこと。評論、発言それ自体が一個の完成された文学作品、芸術であるということ。もしくはそれを目指していること。そういう意味では文学は全て要約不可能なものであるはずなのです。メロスが友達助けるために死にそうになりながら城に戻ってきたなんて要約、本当ならしちゃいけないんです。
こういう文学のあり方は、理系の親父は気に入らないでしょう。しかし自分はそれこそが両者の最も魅力的な特徴だと思うのですよ。

まあ確かに評論とか批評とか社会に対する是正の効果と義務も持ち合わせてたりしますから、明確にものを言わなきゃダメだろって側面があったりします。だから、明確にものを言わない両者の評論が気に入らないという親父の考え方もよーく分かりますわ。
戦後ある意味自重した小林秀雄とは対照に、今でもぼんやりとした政治的発言をやってのける大江に対して「あいつはほんとに文学バカだよな。なあなあに理想主義語って人を惑わすくらいなら死ねばいいのに」とまで言ってのける親父ですが、まあ確かに評論する時は空気読めっていうのはありますわな。江藤淳見習えって話で。

しかし、文学に関わる人間として、自分は両者を完全に否定しきることなどできないところがあるのもまた事実。
むしろその思想云々は置いといて、その文学者としてのあり方にある意味尊敬さえしている始末でね。

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