つい最近まで、文学とは数式のようなものだと思っていたのです。
事物の本質を分析・数式化する作業。文学作品とは目に見える副産物って感じで。
数式だから、何も主張しない。1+1=2という数式が、1と1を合わせれば2という真理を「示し」こそすれ、その法則が正しい事を数式自身が主張することはない。それを正しいとして何らかの心的効果を自らの体内で起こすのはあくまで人間のすることである。1+1=2という数式は、ただ鎮座して、我々を眺めるのである。静かに。
その静かさは、ひょっとすると、死神だった。
この三年間中国文学をいくらか勉強してみて、文学研究というものにささやかな、しかし確かな希望を見出したのは幸運だったと思う。
確かに文学は数式だ。しかし数式にもいろいろある。さっきの1+1=2などのように有理数の静止した法則だけしか示さないわけではない。数列は果てしない無限を表し、微分積分は時間経過に伴う量的概念をも示す。
中国、その国内の状況は日本とはケタ違いのものである。上から思想統制じみたこともするし、その言論云々によっては一生牢屋にぶち込まれることだってある。ちょっと汚職をしたくらいで即日死刑になったりする(もし中国流なら、今の国会は半分以上縛り首ですね。クビシメロマンチズムw)。デモ起こしたらタンクとかが出てきます。
そんな中で、中国の文学者は命がけなのよ。
精神状態だって普段からの気質だって、自由を保障された日本人のそれとは大分違う。
そのような彼らの文学は、何というか、切実である。
中には、日本、否、自由を保障された先進諸国ですらありえない程の切実さを有するものだってある。
極端なものでいうと、すべての作品みんな明日にでも死ぬかもしれないオレの遺書、みたいな。
そのような文学作品が示す人間その他に関する数式の形は、やはり切実な形をとっていることが多い。
数式が、切実なのである。
1+1=2という真理を、泣きながら叫ぶのである。
別にそれをネタにして無理に日本文学を貶めるつもりではないのだけど、例外もあるし。
しかし、自分が今まで文学に抱いていた印象、それはまさに死神だったと思う。
どうあがいても、真理は結局こうなのだという死刑宣告(それはかのマーラー卿の「悲劇的」の末尾、イ短調での全奏による嘆きをイメージしてしまうボクはきっとキザ)。別に大災害とかそういうありきたりのフィクション以外において命に関わる状況下におかれてるでもなしに、所詮は書斎からの宣告なのね。
文学は、この閉塞状況の島国においては、己の虚ろを亡霊として実体化する作業であるようだ。
(日本文学は、この先、何を生み出し得るのだろうか?)
いろいろわけわかめな事をまさにつれづれなるままにという形容がぴったりな感じで書き連ねてきましたが、まあ要するに、中国現代文学、めっちゃゲテモノのイデオロギー闘争(笑)とかいろいろ凄いけど(すごいんだぜ、文学による革命の啓蒙とか今でもクソ真面目に唱えてるやつだっているんだから)、それ抜きで考えると、ある意味とっても面白いよ★っていうことが言いたかっただけです。
割と根本的な研究動機だったりするので、落ち込んだときに備えてメモしとこ。
おまけ:金獅子にブーイング
http://sports.nifty.com/cs/headline/details/et-ct-N0011449/1.htm
ていうか、張藝謀って今やそこまでVIPだったのか。
おまけ:空耳アワーのお時間です
ヒテンミツルギスタイル……
「オ取リ寄セー!!」
最近のコメント