海と毒薬
この前本棚を整理した際に見つけて、久しぶりに読もうと思って数日、電車内で何回か読んだだけであっさり完読。何気に短けーのな。新潮文庫で150pないくらい。
さて、中坊以来久しぶりに読んでみたわけですが、よく見ると結構文章ヘタですね周作、少なくともこの作品においては。
ヘタっていうか、稚拙だなあと思って読んでました。
『海と毒薬』は、福岡の医大で捕虜の生体実験するってのが皆様もご存じのあらすじなわけですが、やっぱ医大を舞台にしているだけあってかなり専門的な医学用語やらなんやらを使ってるわけです。
当然、それらのものにもいちいち解説を付けながらやらんといかんのですが、まずその解説の付け方が非常に稚拙。ベタベタ具合でした。
例えばこんな感じ↓外国人捕虜の人体実験真っただ中のこのセリフ。
「エーテル麻酔は一応、中止しとけよ。あんまり効きすぎて死んでしまわれても困るからね。大場さん、手術道具の用意をして下さい」
まあ、医者だったら麻酔しすぎたら患者が死んでしまう事くらいみんなご存じのだと思うのですが。たぶん読者への説明を含めてるんだと思いますが、それだったら人物にしゃべらせないで地の文で説明するべきだった。医者がそんな説明口調で喋るかよって話で。
野球マンガで60分の1秒の間に30分くらいの長たらしい解説を交えながらあれこれ思考するピッチャーバッターみたいな滑稽さがありますよ。
この作品は「日本人とはいかなる人種であるか?」という哲学的な「問い」を促すものであると同時に、医療の現場をリアルに描いたノンフィクション文学(戸田とか勝呂とかは架空の人物だけど)としての要素もあるわけです。少なくとも、医療の現場を非常に克明に詳細に描こうとしている作者の志向は読み取れる。ノンフィクションと言っても良いくらいにその描写は精緻であろうとしている。もしくは、作者の「問い」をより切実にするために、その周辺の現実をリアルに描く必要があった。
どちらにしても、そのようなノンフィクション風の鬼気迫る描写の中で、その解説等の稚拙さだけはどうしても異質である。明らかに、この作品においては失敗だったと考える。
そもそもこの作品は先ほどの「問い」を一番前面に押し出した作品であることは読者一同納得していただけると思う。したがって、作品内のすべてのものはそれに集束していくのである。
ただ、その収束の仕方がいささか性急すぎたことは認めざるを得ない。例えば同じく手術中の戸田のセリフにこのようなものがある。
「八ミリの廻転する音がメスや鋏の音にまじって相変らずなり続いている。(中略)(あの音、どこかで聴いたことがあったな。そや、あれは蝉の声や。浪速高校のころ、大津の従姉の家に遊びにいった時、聴いた蝉の声や。いや、なぜ、俺はこんな時、こんなアホくさいことを考えとるんやろ)
このようなモノローグのやり方が文学的に見て稚拙に感じるのは僕だけだろうか?先ほどの臨場感と文学性を両立させるためには、このような文章は地の文でドライに行うべきだったと、僕などは思うのだが。周作はそんなに巨人の星が好きなのかとさえ疑ってしまう(ちなみに、ちびまる子は好きだったらしい笑)。
これが遠藤周作の癖なのか力不足なのかどうかは研究不足につき不明だが、先ほどの解説の付け方の野暮ったさといい、「問い」に対して性急すぎるがゆえに文章の細部に対する無頓着が見られる部分は、名作として語り継がれているこの作品全体を探してみると意外に多いのである。これを、遠藤周作の「告白」というデフォルメされた一種の手法だと見れば受け入れられなくもないが、まあ、上手くないな不自然だなと、個人的な嗜好で思っちゃったりしちゃうのです。
さらに言うと、もし日本人の罪の意識に対する「問い」を主題にするなら、この題材はあまり適切ではなかったのではとも思えてしまう。例えば、神が存在する西洋と対置する形で日本人が描かれるわけだけど、じゃあ逆に、西洋人全員が神に対する罪の意識を持つのかと言えばそれは微妙である。ブッシュが神の敵をジャスティス的な意味合いでジェノサイドしたとき、神に対して罪の意識を表したでしょうか。個人的とかそういう意味ではなく、キリスト教の体面としてさ。
第一この作品は戦時中という一種特殊な時代の、しかも医者という特殊な人種(として描かれているとしか思えない)のお話である。医者が人を死なせることに対していちいち気負っていたら仕事にならん気がしますよ。『ブラックジャックによろしく』の主人公が心の底から大嫌いな自分は、むしろ勝呂とかまじで偽善者にしてダメ医者じゃね?とか思ってしまう性質なのです。
だから、平時の、医者でない他の人間だったらどうなんだという話になる。ここで示されたお話は、特殊過ぎて、読者に一般化できないのである。だから、そもそも題材選びから間違っていたのではないかと考える。
まあ『海と毒薬』が描かれた頃にはまだ『白い巨塔』とか無かったからな。『ブラックジャックによろしく』とかいう人の生き死にを商品としたマンガが出回るくらいには、医者という人間に対するイメージがまだよく定着していなかったのもあるのでしょう。
ときに、『海と毒薬』には続編が存在するはずだった。少なくとも作者自身には『海と毒薬』の続編なるものの構想はあったらしい。ただ、直接的な第二部はついに描かれることはなく、罪と罰をテーマとして扱った作品には、その後代わりに『沈黙』等の作品が続くことになる。
その間に、遠藤周作の問題意識に微妙な変遷が見られるとのことであるが、それはさておき、僕は『海と毒薬』はまだ習作の段階を出ていないのではないかと思うのである。また、まだ未完であるというのも見られる。この話がこれで完結するのだとしたら、この物語の中で唯一罪の意識をもった勝呂の存在はあまりに浮き過ぎていて、かつ描かれていなさ過ぎるからである。
この作品の場合、魂という視点から見た「問い」というのを発すること自体に意味があるので、別にこの作品に価値が無いとかそういうことではないが、文学作品としては相当稚拙である。
その未熟さが『沈黙』に至るまでの過程、発展途上なのかどうかは分からない。て言うか『沈黙』をこれから読んでみようと思う。
まあ、自分周作に関しては割と素人なので、もしかしたら自分と同じこと言ってる論文が既に存在しているかもしれません。あー、今見てみたらウィキにも似たようなことが書いてあった。さすがに文章ヘタだねとまでは書いてないけど。
いやはや、名作と呼ばれているものでも、よく見てみるとこういった欠点が割と存在するものですなあ。
第一、あなたらあんな日常的にマスコミはバカだバカだとか思っているくせに、昨今のベストセラーとか名作とかそういうマスコミが貼ったレッテルとかを鵜呑みにし過ぎなんですよ。
自分で確かめないでそういう風に言うのは、それはあなた、怠惰というものでしょう。













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