異能の生き様
世の中には、生物としての能力を削ってある能力に特化した人間がいるに違いないと思っている。あるいは呪いに近い宿命を代償として抱く者とか。
それすなわち異能。突然変異体、アルビノ、奇形児。
その人生、異形ゆえに、その歪ゆえに愛を得ないのなら、その宿命を甘んじて受けよう。その代償として受けたこの異能の宿命、それを友として。
これが奇形児の生き様である。
覚悟はいいか?おれはできてる。
世の中には、生物としての能力を削ってある能力に特化した人間がいるに違いないと思っている。あるいは呪いに近い宿命を代償として抱く者とか。
それすなわち異能。突然変異体、アルビノ、奇形児。
その人生、異形ゆえに、その歪ゆえに愛を得ないのなら、その宿命を甘んじて受けよう。その代償として受けたこの異能の宿命、それを友として。
これが奇形児の生き様である。
覚悟はいいか?おれはできてる。
月曜二眼は教育カリキュラム論。丸山学派の使徒がこちらに遠征してきて市民教育が何たるかをわかりやすく教えてくれる授業です。
て言うかさ、自分市民主義とかとっくに過去の遺物になってるのかと思ったよ。どうなんですかね?自由意志の不断の研鑽による進歩って、化石のようなファジーさを感じるぜぇー。
だいたいの現代哲学はそこからの脱却を起点としてるんだし。日本でもそういう進歩的知識人とやらの活動が招いた昨今の危機的状況の反動で、そういうのは時代遅れだということになってると思ったんだけど、そうじゃないのか?それとも丸山先生はかくも偉大ということなのかね。
どっちにしろ、市民主義とかそういう理想主義めいたものは、文学を学ぶものとしては拒否反応を示すしかございませんなあ。こちとら特殊を扱う稼業なもので、普遍的真理とかそんなものをそらで唱えるやつなんかクソ食らえなのですよ。まあそういう思考回路にしかならない人間の歪みを暴く文学ってのには興味しんしんなのですがねw
世の中に意外といっぱいいるんだね。そういうのが中途半端な力を持つとほんとに始末に悪い。
題名はSystem of a downの曲から
ふとテレビを見ていたら、ブラックマヨネーズの肌が荒れている方の非常に汚い部屋が公開されててそれをきれいに掃除するという番組やってた。片付け進めているうちに、ゴミ箱から遺書が見つかったり、彼女と別れて心がすさむのと比例して部屋がごみ屋敷となるいきさつが語られるなどと予想外の重苦しい展開に。「お前これは人の住む場所じゃねえよ」「こんなとこ住んでたら心荒むよ」という言葉が、かなり他人事ではなかった。
自分も部屋片付けよう。どうにも心がこの頃荒んでるからなあ。
この頃マーラーの復活交響曲が非常に心に響く。打ちのめされて死んだ人間の復活というテーマが、例え頭イッちゃってる妄想だとしても「私は死ぬ、生きるために」というフレーズにはただ圧倒される。
自分はそんなに超人思想には賛同しないっていうかむしろ思想としては反対する立場なのだが、文学的イメージとして超人思想を捉えると、それに共感を持つようになった。うーん、多分S根先生の影響なんだろうなー。
ps:あー、ぢょんのバイジウ貰えなかったのは非常にざんねんだったな。クリコンの打ち上げでやつらに手土産として持っていこうと思ったのだがな。
(バイジウ=白酒baijiu……中国焼酎。度数は40~50度くらい。それをおちょこくらいの杯でストレートでぐいっと飲むのが一般的。そのひとつである茅台酒maotaijiuは毛沢東ら共産軍が飲んだのもあってあちらでは国酒扱い。美味いやつはほんとに美味い。
と、大体こんなんだったと思うのだが間違いあるかもしれんね。あったら訂正キボンヌ)
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